「甘いものをやめることなんて出来ません!」
私の目の前にはアトピーを長く抱えられている方が座っておられる。
この方は遠方より私に相談をするためにやってこられた。
挨拶をして面談が始まって間もなく、この言葉を吐き出された。
吐き出された……なにも大げさな表現でもない、今までずっと家族一丸になって食に気をつけられてこられたゆえの言葉だからだ。
「甘いものをやめることは出来ません」……糖分が好きで好きでやめられない人の言葉ではなく、我慢を重ねたゆえの鬱積が口調だけではなく表情からも伝わってきた。
仮に甘いものをやめて、アトピーが治れば報われるのだが、そうでなかった。そして目の前に……私のことですが……お菓子や清涼飲料水の過剰摂取に注意しましょうと主張している者がいる。これ以上、我慢なんか出来るものか! と思わず抑圧してきた感情が堰を切ったかのようだった。
私は面談が終わっても、ずっとその方が言われた言葉について考えている。折にふれて思い返している。
この方とは、ずいぶん昔に出会ったけれど、この方が吐露した言葉とその時の表情を忘れることが出来ないでいる。
アトピーがひどくなると身体が火照る。これはとても辛いものだ。急にホットフラッシュのように頭や顔が熱くなるのだ。そこへ身体を温める作用のある食品は避けた方が良いと思われる。その代表が砂糖だ。
「それくらいのことはわかっている。けれど砂糖をやめられないのだ」と、この方から突き付けられている私を想像してしまう。
私はマクロビオティックを信奉する者ではない(料理教室に通い食養生講座等で資格を取りましたけど)。
マクロビオティックでは陰性食品である白砂糖は避けなければいけない。マクロビの実践者のあるお母さんはお子さんの誕生日に、白くて艶やかなホールケーキの代替に、サツマイモをふかしたものに蝋燭を添えてお祝いした、そんな話もあるくらいだ。
今では厳格さは和らいで、お洒落化が進んでいるマクロビオティックだが、じゃこ1匹食べることも許されない時代があった。だから食養生の先生方も大変でして、おおっぴらに食べてはいけないのだろう、机の引き出しの奥に板のチョコレートを隠しているマクロビの先生や、我慢できなくなって大量に菓子パンを隠れて食べた食養生の先生もいたそうだ。ご本人から直接、うかがった。
金科玉条のごとくマクロビオティックの教えを墨守する先生であっても、食養生の原則から逸脱してしまうのだ。それほど人間の欲望はコントロールするのは難しい。欲望は本能から発露されたものであり、その本能は言葉が通じない。なので食べてはいけないと頭で理解していても欲望の方が勝ってしまう。
人間の本能というのは言語世界の外側にある。理性(これも言葉で出来ている)が及ばない領域に本能はある。ゆえに、理性で食べたい欲求を抑えてみても、言葉で「甘いものは食べないぞ」と自分に言い聞かせてみても、ふと気づくと砂糖に耽溺してしまっている。注意深く行動していた要人がハニートラップに嵌ってしまうのはそのためだ。
食養生の教室に通う生徒たちのなかにも「我慢できずにドカ食い、暴飲暴食してしまった」と告白する人はけっこういて、いわゆる「禁止への侵犯」は先生だけではなかったのだ。
もうひとつ「食べることに走ってしまう」理由がある。それは、人間というのは不安にさいなまれた時、自分をグラグラと揺り動かす不安を落ち着かせるために何かの固定点にしがみつきたくなる。つまり、人は何かに依存せずして生きることなんて出来ないのだ。程度の差はあれ、なんびとも何かに依存して生きている。
この依存がその人に不健康をもたらすケースがある。それは依存症(嗜癖、アディクション)と呼ばれ、依存対象から抜け出せず、行動を止めることができず、健全な生活をおくることができない場合、治療が必要になる。
最近、新しく見出されている依存症にはネット関連がある。スマホ依存、ネット依存、ゲーム依存、オークション依存(目当ての商品を首尾よく落札できた時に快感を覚えるので止めることが出来ないと悩む人がおられる)がその代表例だ。
その他の依存症として、仕事にのめりこんでしまうワーカホリック(仕事中毒)や、飲酒、薬物、ギャンブル、ショッピング依存がある。
依存対象はさまざまあって、ここではすべてを挙げないが、食べることに関する依存症に過食や摂食障害がある。
依存症までいかなくても人は日常生活において、自分の心を満たすために、心の傷を埋めるために、あるいは、ストレスを解消するためや、心の落ち込みを癒すために、やる気を高めるために「何かを口に入れる」ことで現状を克服しようとする。
あなたは――今までの人生において満たされない心を何によって埋めてきたでしょうか?
食べることで埋めていた方は結構、おられるだろう。
アイスやチョコが止められないケースや、しょっちゅうコーヒーを飲んでいる人もおられますよね。
糖分は一時的に血糖値が上がるので元気になれる。だから、やる気がなく、気分が落ち込んだ時にはスイーツを口に入れ続けてしまう……そんな経験を持つ方は多いだろう。
元気が出るドリンクには、たっぷりカフェインと糖分が含有されている。成分表示を見たらわかる。カフェインも砂糖も中毒性が高いので止めるのが難しいとされる。
甘いものを止めることが出来ないならば、なぜ止めることが出来ないのか? 自分はスイーツで何を忘れようとし、あるいは何を解消したいのか? 何を埋め合わせようとしているのか? これらを自問自答されることをお薦めします。
そして、健康的な別の「やり方」に置き換えることは出来ないか? 模索することも合わせてやってみてください。
「自分」と「食べ物」の関係から抜け出して外側からこれらを眺めてみる。そうやって主体的に食欲と関わることです。すなわち、食への制限に自縛されるのでもない、さりとて食欲に振り回されるのでもない状態に身を置いてみる。
そうは言っても、ジョルジュ・バタイユの「呪われた部分」は言うに及ばず、本能を前にして、禁欲生活は長続きすることはなく、欲を駆り立てその人を振り回す。そして再び食べてしまう――これが人本来の自然の姿です。なので禁を破って甘いものを食べ過ぎてしまっても自分を責める必要はまったくありません。
食べたければダラダラとジャンクフードを口に入れ続けるのではなくて、週に1回、(私はスイーツ音痴なのであなたの方がお詳しいと思いますが)百貨店で売っている高いスイーツを買い求めて紅茶とともに、ゆっくり味わうのがいいと思います。
もし、理性の力でストイックになって自身を抑えるといった「完璧主義」が強いと自覚されているならば、ではどうして完璧主義になっているのでしょう。裏側に「失敗してはいけない」「間違ってはいけない」といった恐れがあるのかも知れません。このあたりはまたお話しましょう。
特定非営利活動法人 日本成人病予防協会会員 渡辺勲
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