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激しい乾燥とかゆみを薬なしでアトピーを完治した体験談

現在、幼い頃にアトピーを発症し、大人になって再発、治らないまま年齢を重ねる人が増加しています。

私も幼い頃、アレルギーと湿疹を発症、そして中学1年生の時にアトピー性皮膚炎を発症させました。

成人を過ぎて30歳を過ぎてもアトピーは治りませんでした。

結果、20年の長きに渡って皮膚科でステロイド治療を、漢方クリニックで保険適用外の煎じ薬を飲み続けました。

後に残ったのは黒く色素沈着した掻き傷だらけの皮膚だけでした。

しかし、今ではアトピーはすっきり完治しています(写真左側)

一切に皮膚科への通院と投薬なしで私は自分の力でアトピーを完治させました。

アトピーの顔と完治後の顔

アトピー症状期間中の姿と完治した現在の写真。

青春のすべてをアトピーで台無しにした人間でも元の肌を取り戻して完治することができる。それを私は証明しました。

では完治のストーリーを読み進めてみてください。

手の甲がシワだらけで「おじいさんみたい」といわれた小学1年生

アトピーの横顔

写真は成人の頃のものですが、私は顔・首・胸・腕と上半身がひどかった。悲しい目をしている。

私は生まれつきアレルギー体質だった。食物アレルギーだった。

生卵が入っている親子丼ぶりを食べると顔や頭皮に蕁麻疹がでたし、

また、顔も湿疹があって肌が乾燥していた。

自分でも他の人と違う肌だなって思っていた。ハリがなくて若々しさがないというか。

小学1年生の時、「おまえ、おじいちゃんみたいな手やな」とシワだらけの手の甲を見ていわれたのを覚えている。

当初、私は生卵や鯖や小麦といった食物アレルギーを抱えていたのだが、これがアトピー性皮膚炎へと重症化してしまった。

アトピーと初めて診断されたのは中学生になってからだった。

「気持ち悪いからうつさないでね」複数の女子からいわれて何度も自殺を考えた

13歳、中学1年生の夏休みが終わった2学期。

ほどなくして、みるみるうちに顔が、おでこを中心に赤くなった。

突然だった。

おでこがガサガサに厚い皮がはった。目の周りが赤く、そして腫れてきた。

眉毛が全部抜けた。

ただでさえ私は目が細くて眉毛が薄い。

小学生の時から「細い目が怖い」「眉毛が薄いから変」と執拗にいわれて、いじめられてきた。

それがさらに悲惨な顔になってしまった。鏡を見ると自分の顔がまったく変貌したことがわかる。

もう鏡は見たくない。学校に行っても恥ずかしい。ずっと下を向いて歩いていた。

唇の周りが赤く腫れた。あごが痒くて痒くてたまらない。

頭皮がガサガサに乾燥して、とても痒い。掻くたびに白くて厚い皮のフケが毛髪にひっかかる。

毛髪からはがしたフケを見ると、毛穴だった部分が目玉のように穴が空いている。

黒い制服に白いフケが落ちて、自分が汚い人間だというのがバレるのが怖くて怖くて……。

クラスのみんなが自分のひどい顔をみているような気がした。影で自分のことを気持ち悪くいっているようで怖かった。

アトピーになる前、私はクラスの中でも人気者で面白いことを授業中にいっては教室に笑いを起こすことをしていた。

それが、まったく人が変わった。陰気な人間になってしまった。アトピーは人格まで変えた。

ついにクラスの女子たちが私の顔を見て「気持ち悪いから、あっちいって」「うつさなでね」というようになった。それも私の顔を見つけるたびにしつこくいってきた。

今思えば、いじめを受けていたんだ。

学校に行くのが嫌になった。生きるのも嫌になった。

家にいて私は「あの柱にひもをつけて首をつろうか」というようになった。

母親は私の心からの吐露を聞いていた。しかし、何もいわなかった。父親も何もいわなかった。

両親は毎日のように喧嘩をしていた。薄暗い狭い二間の文化住宅(アパート)に相手をののしる親同士の激高した声が私を押し殺した。

両親は私のアトピーに見向きせず、互いをののしりあう。

身も心にも潤いがなかった。

だけど、

辛い心は隠すことはできる。しかし、アトピーの顔は人目にさらさないといけない。

人とは違う「隠すことができない」異様な顔。

俺はみんなと違うんだと自分を自分で突き放してしまう。これが言いようのない孤独を生んだ。

しかし、しかしだ。

ひとりぼっちも苦しいけど、顔にびっちり厚い皮がはって、この気持ち悪さがたまらない。

それはまるで顔に接着剤が塗られてサランラップに巻かれている感覚を想像すればわかってもらえるだろうか。

この不自然な感覚が四六時中、意識にのぼってくる。

顔を洗うと猛烈に肌が乾燥する。痛くて、そして痒みが激化する。

自分で自分を拷問にかけているようだ。(これは30歳を超えてもあった)

そして、この逃げることのできない蟻地獄のような苦しみをわかってくれる人はいなかった。

だけど、自分の気持ちを打ち明けようとしても、まず異様な容貌に他人は絶句した。

2度見されては、明らかに「気持ち悪い」と思っている表情を返してくる。

思春期だったから、とても耐えられなかった。

ステロイドを塗っても顔がぼんやりと赤いままで、ついに修学旅行先でアトピー発症

 

1年生が終わった春休みに近所の皮膚科に母と行った。

ステロイドが処方された。それを塗った。

そしたら、アトピーは緩和した。

しかし、

顔のぼんやりとした赤みは、いつまでも残った。

ずっと右の手首に炎症があって痒かった。手首を動かすと皮膚が切れて痛かった。

これはとても辛かった。

中学3年生になって修学旅行は熊本の阿蘇だった。慣れていないバス旅行だった。

体調をくずして修学旅行先でアトピーになった。

多くの生徒がバスで酔ってしまって、教師に助けを求めた。僕はしんどいと先生にいえなかった。

目の前に山盛りの美味しいはずのジンギスカン料理がある。でも、食べることができなかった。

顔が頭皮がめちゃめちゃ痒い。阿蘇の5月の日差しはきつい。顔がどんどん赤くなっていく。炎症がはじまったのだ。

顔の赤い私を見つけたクラスの女子たちが

「おまえ気持ち悪いんじゃ!」

「なんでこんなヤツいてるんだろ」

「うつさないでね」

「帰ってください」

といってきた。

男子生徒たちが私の顔を見てバカ騒ぎをする。

私のアトピーの顔を学年中の女子生徒がわざわざ見に来ては「キモイ」と叫びながら笑い転げた。

身も心も生きた心地がしなかったからだ。死にたかった。死んで今すぐ消えたかった。

まったく面白くなく楽しくなかったつらいだけの修学旅行だった。

この時から大人になっても旅行に行く話があれば気分が憂鬱になった。

旅行に行けば、また顔がおかしくなるんじゃないかって勝手に思ってしまうのだ。

高校に入学しても、ぼんやりと顔が赤くて、体が痒かった。

高校卒業後、大学受験予備校に入った。

だが、ここから、一段と辛くて長い本格的なアトピー人生が始まるのだった。

2回目のアトピー激悪化!  漢方薬を飲んだら浸出液が顔から吹き出た!

18歳、予備校に入った春から、どんどん顔の目の周りから赤くなってきたのだ

「顔、赤いで」と友人にいわれたけど、気にしないようにした。

だけど、思いと裏腹に炎症が一気に広がった。

首や胸、上半身すべてがアトピー性皮膚炎になってしまった。もう勉強どころではなくなったのだ。

私はある医大の皮膚科に行った。そうすると若い医師が私にこんなことをいうのだった。

「ステロイドは怖いですよ! 目に入ったら白内障になりますよ! 塗ってはいけません」

私は「こんなに辛い思いをしているのに、ステロイドをくれないなんて。ひどい」と思った。

(それから20年くらいしてから、私は「アトピー白内障」という症状が実際にあることを知る。それは白内障になり目の手術を受けたアトピー患者から伺ったのだ。ステロイドは目に入ることで白内障になる恐れがあることについて人々の口の端にのぼるのは最近のこと。この当時はまだ知られてなかった)

仕方がないので、中学生の時に通院していた皮膚科に行った。すんなりステロイドを処方してくれた。

そうだ。ステロイドを塗れば治る。

さっそく私は顔にステロイドを塗った。次の日も塗った。顔が赤いのは恥ずかしい。白い肌になりたい。

これは多くのアトピー患者からすれば自然に思うことだろう。

しかし、ステロイドを塗っても治らなかったのだ。

顔の赤みは無くならなかったのだ。炎症は消えないどころか、どんどん真っ赤になっていく!

皮膚科に行くと、さらに強度の強いストロングなステロイドを処方されて、また塗った。

しかし、顔の赤い炎症は悪化、それにつれて強いタイプのステロイドになっていった。

すると、母親が「ステロイドは危ないから塗ってはいけない!」と私を叱るのだった。

私がステロイドを塗る度に私は母親から怒られ叱られた。

だけど、私は母の目を盗んでステロイドを顔に塗った。

よく、ステロイドをやめるからアトピーは治らないのだ、ということをいう医師がいるが、

私の場合、1年もステロイドを塗った。だけど治らなかった。

そして、心労で勉強どころではなく大学受験を1年延長してしまった。

勉強もしなければいけない。そのためにはアトピーを治さないといけない。

だけど、ステロイド治療でも治らないので、病院を変えてみようと思った。

ちょうど、ふと目にした新聞記事には、ある大学医学部付属病院小児科のT医師のインタビューが掲載されていた。

(もうT先生は亡くなられています。先生は小児科におられました。でも多くの大人のアトピーの人が待合室に座ってられました)

私は大学付属病院に行った。そこで、初めて私は漢方薬治療を受けるのだった。

大人になれば治るは幻想だった! 漢方薬・抗炎症剤・抗菌剤・ワセリン・保湿剤を10年以上使用してもアトピーは治らず!

ツムラの漢方が入ったアルミ袋

私はツムラの黄連解毒剤など5種類くらいの漢方薬を飲んでいた。週に1回、大学病院に行って箱にぎっしり入った漢方薬、アンダームクリーム、抗菌剤、保湿剤をもらって帰る。1日仕事だった。写真出典:

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Keishikasyakuyakutou_2.JPG

T先生から私はパウダーのツムラの漢方薬を処方され、

非ステロイド系抗炎症剤「アンダームクリーム」に抗菌剤クリームを混ぜて塗るようにいわれた。

この漢方薬がとても苦くてまずくて飲めたものでなかった。誰もいない予備校の教室で飲んだのを今でも覚えている。

そしたら3日後くらいに、顔のおでこや、こめかみなど、掻き傷から一気に浸出液が吹き出たのだ。

顔が汁でずるずるになって、テカテカになった。もう勉強なんてできない。

これは東洋医学でいうところの「めんげん」好転反応なのだろうか?

私は再び先生の元に行った。漢方薬を飲んだ後の状況を伝えた。

先生は席を立って、苛立ちながら診察室を歩き回った。「じゃあ、もう飲まなくていい」といわれた。

いわれたとおりにしたら浸出液が止まった。クリームだけを塗るにとどめた。

すると半年すれば落ち着いてきて、やっと私は志望大学の合格を勝ち得た。

さてだ。しかしアトピーは私においすがった。

大学に闘病しながら合格したのだ。喜びもひとしおだ。これから始まる大学生活を思えばワクワクするものだ。普通は。

しかし、私には「普通はなかった」

春はアトピーが悪化する季節であって、

大学入学前の私は、顔が痒くて、ずっとイライラしていた。

目を掻くと腫れて、目が細くなって人相が変わってしまった。

顔が赤い。見た目が悪い自分だった。

春の入学にのぞんで気分が憂鬱で、まったく晴れがましくなかった。

 

春を過ぎて夏になれば汗をかいて、痒くなる。

秋と冬になれば肌が乾燥して痒くてつらい。

これを毎年くりかえした。

もちろん漢方薬を毎日飲んでいた。

いくらアンダームクリームや抗菌剤、ワセリン、保湿剤を塗っても治らなかった。

食事を和食にしてもダメだった。

お風呂上り、さっぱりしたいのに、肌はすぐにベタベタした。

肌に薬を塗らないといけないからだ。

シャツの襟はいつも薬がついてベタベタしていた。

これがなかなか洗濯で落ちない。そんな余計な苦労もした。

それでも治療を受けて治ればいい。

しかし、私は、

大学4年間も社会人になっても赤くて黒くて、カサカサした顔と首だったのだ。

ほんと生きた心地がしなかった。

夏、汗をかくとすぐに身体がほてって猛烈に痒くなったし、

冬なのに身体がほてる。暑い。だけど汗がでない。身体の中で熱がこもっている感じで、重苦しかった。

頭皮の乾燥がつらくて、ここだけは薬が塗れないので、治らず、この苦しみは誰にも理解されないだろう。

腕が燃え盛る炭の棒のように、いつまでもジンジン痒い。

掻いても掻いてもおさまらない。

夜も寝付けず、深夜の4時になってやっと眠れることはしょっちゅうあった。

そして、朝目覚めると、布団に皮が散らばっていて、かき集めると手の平いっぱいの量になる。

こんなに人って皮がはがれるのか?

そして、外に出ると今度は他人目線が気になる。

私は本来、肌が白い色白なのだ。小学生の時、クラスメイトが夏休みで肌が黒くて、とても元気そうだった。「渡辺くんは肌が白いね。夏休み何をしていたの?」と担任の先生にいわれるくらいだったから。

なのに、色素沈着のせいで「渡辺は色黒だ」と周りからいわれた。悔しかった。

これが10年以上は続いたから、もうすっかり自分は自分本来の肌を忘れてしまった。

あるのは痒みと眼の周りのイライラした痒み、身体をはいずり回るような痒みと痛みだけだった。

しかし、アトピーの塗炭の苦しみはここで終わらなかったのだ。

ふたたびアトピーが大爆発をするのだった。

この大爆発で私は働けなくなって失業者になってしまった。

思えば13歳に発病、18歳の時に2回目の悪化、そしてずっとアトピー症状が続いていた。

大人になれば完治するなんて幻想だったのだ。

治療を受けてもアトピーは私においすがった!  何をしても治らない状況から抜け出せない!

 

闘病しながら、2浪したけど志望大学に入学できた。

だけど、春の入学を前にして、私の気分は晴れがましくなかった。春はつらくなる季節だったから。

目が痒くて腫れて、その違和感にずっとイライラしていた。

大学生の時も、卒業してからも、ずっとアトピーだった。

顔、首、胸はずっと痒くて、色素沈着で赤くて黒くてカサカサした乾燥肌だった。

秋と冬は特にしんどくて、皮膚を服のように、はぎとればどれだけ楽だろう。何度も思った。

頭皮の乾燥の苦しみも当時の私にとって耐えがたかった。

頭皮に接着剤を塗って乾かした感じといえばわかって頂けるだろうか。

ずっと厚いフケが頭皮にはって四六時中、辛い。

もう、ずっと身体の皮膚に意識がはりついていて、集中力もなかった。

ずっと皮膚の違和感が脳を占拠している感じだった。寝ている時が唯一の平安だった。

だけど、たまには楽しいことがあって、機嫌が良かったのだろう、口笛を吹きながら夜道を歩いていると、カップルがじろっと私を見た。

男が「うるさいんじゃ!」と私をにらんでいう。

ボクは口笛を吹くのをやめた。

何もしていないのに、迷惑もかけてないのに「ただ生き辛い」

そんな青春を象徴する出来事だった。

ある日、大学の先輩の家に急遽、泊まることになってしまった。

遅くに先輩の家に着いたこともあって、お風呂に入れなかった。

これが私にとって恐怖の始まりだった。いや、お風呂に入れても極限状態に至っていただろう。

普通の人なら「なんのこと?」と思うに違いない。

この時は冬の季節だったので、入浴しないと肌が湿り気を含まず、朝起きると顔がカラカラに乾燥してしまう。

これが死ぬほど辛いのだ。一方で、お風呂に入っても、入浴後すぐに水分蒸発とともに肌から湿り気がなくなる。

案の定、朝になって先輩の家を出た時、顔が紙のようにパサパサになっていた。

皮膚が肌の中心に集まって……シワシワになっていくようで......この皮膚感覚を形容する言葉がないのが悔しい。なったことがない人にはわからないだろう。

私は帰り道、こんな調子で俺は社会人が勤まるのだろうか? と暗澹たる思いになった。

何をしても楽しめない。普通の人みたいに一瞬でもいいから青春を楽しみたい。

いや、他の大学生も苦悩のひとつはあるだろう。私も他の大学生みたいに、夢や目標を追いかける過程で生まれる苦悩を味わいたい、受けて立ちたいのだ。

だが、自分は何もせぬまま、肌に意識をはりつけられながら、生きていかなければいけないのか?

が、アトピーとは四肢が動くのだ。だから、他人からすれば「なにをほざいているのだ」「もっと世間では苦労している人がいるぞ」と思われるのが辛かった。

これは被害妄想ではなくて、実際にこんなことをいわれたことがある。

しょっちゅう手が体にいって掻いていた私に対して「おまえが今までの学生の中で一番、しんどいやつじゃ」と大学のゼミの教官は、ため息まじりでいうのだった。

大学教官の予告通り、社会のアトピーへの目線は厳しかった。

大学を卒業して社会人になった。24歳だった。

高等学校の講師になるべく面談を受けたのだが酒でも飲んでるのか? 顔が赤いの」といわれたのだった。

そこまで私は顔が赤かったのだろう。これでもマシな時期だったのだが

しかし、しかしだ。

私はずっと漢方薬治療を受けていたのだ。

塗り薬も塗っていた。非ステロイド系の抗炎症剤アンダーム軟膏と抗菌剤、保湿剤、ワセリンも塗っていたのだ。

食事も和食を心掛け、外食はしていなかった。

私はタバコを吸わない。お酒も飲まない。

入浴の後、起床した時、こまめにスキンケアをしていた。

断食もしたし温泉にもいった。

しかし、アトピーは治らなかった。

私の人生は悪い方へ悪い方へ、じんわり沈んでいく感じだった。

そして、

この果てない苦しみを抱えて社会人として生きることを思うと、足元から闇が這い上がってくるようだった。

そして、3回目のアトピー大爆発を迎える。

この時、私は仕事を失い、失業者になってしまうのだった。

アトピーが3度目の大爆発! 働けなくなった私は失業者になった......!

私立高校の社会科講師を辞めて国家資格を取得した私は、不動産会社の営業マンになった。

新しい仕事に胸を躍らせながら私は仕事に精を出した。

2年くらいたった頃のある年の春。

アトピーの炎症が顔に出たと思ったら、一気に赤みが広がったのだ。

当時、東洋医学の権威がいる漢方専門クリニックに通院していた。

漢方でも保険適用外の高価な煎じ薬を飲んでいた。

この先生は塗り薬否定派の方だったので、外用剤は使用せず漢方の煎じ薬を飲むことになった。

毎日毎日、漢方薬を土鍋で煎じて2回に分けて飲む。

しかし、夏になっても治らなかった。

おでこにアトピーが発症している

おでこの深いシワ。目の黒目が浮いている。陰性過多の特徴をしめしていた。

眉毛がすっかり抜けて、目も腫れて細くなったすっかり眉毛も抜けてしまって、おでこもガサガサに厚い皮がはってしまった。

腕もすっかりアトピーで赤くただれて、ものすごく痒かった。

アトピーの手、腕

腕が痒くて痒くてたまらない。まるで燃え盛る炭の棒みたいだ。ジンジンとした痒みがしつこい。

首にアトピーが発症して深いシワができている首も深いシワができてしまった。傷に汗がしみて痛くて、首を動かすことができなくなった。(まあ、20年間、アトピー症状期間中、首がヒリヒリして痛かったのだが。

夜も痒くて痒くてたまらず眠れない。

身体が疲れ果てて仕事をすることができず退社、失業してしまった。

「お前、その顔どうにかせえや!」と上司に怒られながらも半年間、頑張ったのだが......。

そうだ。大人になっても私はアトピーについて嫌味をいわれた。

私は不動産会社で働いていた。だから、売り物件の現場で他社の営業マンに会わないといけない。

私は顔を真っ赤にさせながら、ある現場にいった日の出来事。

他社の女性営業マンから「まあ大変! 大変! なんであなたみたいなのがきたの!」としきりいわれた。

身体はかろうじて動く。けど、見た目が悪いから接客なんてけしからん、ということなのか。

だが、その身体も動かなくなった。

アトピーはとことんひどくなると、気だるくなって、安静にしていても心臓の動悸が激しくなる。

息をするのがしんどい。

夏に会社を辞めて、秋になって、冬になろうとしていた。私の苦手な季節がやってくる。が、アトピーは治らない。

保険適用外の漢方の煎じ薬を飲んでも治らない。

薬を塗っても治らない。

私は焦った。このままでは失業者のままだ。再就職の面接を受けることができないから。

お金の貯えもなくなりつつあった。

20年間のアトピー治療に精魂尽き果てて......すべての治療をやめた

私は複数の漢方専門クリニックに通院した。

大学付属病院のT先生が「小児科で大人を受け入れることはできずらくなった」といわれて、別の漢方クリニックにいった。

ここは2年は通ったか。そこで医師からいわれたのが、

「あなたのアトピーは慢性病やね」

週に1回、2年間通院してこの言葉。

やるせなくて、行くのをやめた。

そして、次にいったのが初診が1年待ちの評判の高いクリニック。

院長先生は東洋医学の権威であり、私は高名で人気のある医師から診てもらっていた。

通院して2年経過したある年の春、

私は3回目のアトピー激悪化に見舞われた。そして、退社まで追い込まれた。

一生懸命に保険適用外の漢方煎じ薬を毎日飲んだ。

しかし、まったく治らない。むしろ冬になるに従い、悪化していく。

毎晩、痒くて眠れない夜が続いた。

 

私はしだいにクリニックから遠ざかるようになった。

そして、ついに、

私は皮膚科や漢方クリニックへの通院をすべてやめたのだった。

 

治療を受けるのをやめたけど、

さりとて、

「アトピーを自力で治すぞ」といった奮起も気概もなかった。

ただ、疲れたのだ。

 

でも、今思えばこれが良かったのだ。

アトピーは気合で治るものでもないから。

アトピーは治そうと思えば思うほど治らないから。

そうだ。私はアトピーを治す意思も行動もやめることで、アトピーを完治することができたのだ。

だから、最後は薬を使わずアトピーを治している。

もちろん健康食品も和食もしていない。

もし、あの時から漢方薬治療を未だに続けていたら、私は日常生活に復帰すらできていなかっただろう。

ここまで読んで頂ければ、私が皮膚科に漢方クリニックに意味を見出せないのは仕方がないと理解して頂けるはずだ。

意味のない行動をしても、結果として価値は生まれないから。通院しなくて良かったと思っている。

皮膚科に行かずアトピー完治することができた

 

それから何年かしてからのち......それは春だった。

私はある教室で、50歳代の女性に出会った。

その女性は、私が通院していた漢方クリニックの医師を知っていて、懇意の仲だったことがわかった。

あの初診が1年待ちのクリニックの医師のことだ。

こんな場所で医師の名前を聞くとは......私は驚いた。

「今でも漢方クリニックにいってるの?」

「いいえ。ずいぶん前にいったきりで、いってないんです」と私。

彼女は「先生に挨拶した方がいいよ。一緒にクリニックに行こう」といった。

私は彼女と友達になった。

彼女は私の心の奥にある悲しみを感じとってくれていたようだ。

とても私に優しく、思いやりをもって話しかけてくれた。

こんなに私を理解してくれる方に出会うのは珍しい。

ほどなくして、私は彼女と漢方クリニックに行った。先生に会った。挨拶をした。

「おーひさしぶりやな」先生はあの頃と変わらない飄々としたご様子だった。

大きな待合室の部屋に通された。

そこには、医師、鍼灸師、整体師、食養生の先生方がいた。

先生は並み居る医療関係者にこのようにいって私を紹介した。

「この男は自分の力でアトピーを完治させたんです! こういう人は私たちにとって困るんですわ」

そう冗談まじりに先生はみんなに話した。

そして快活に笑ったあと、私を抱きかかえた。

アトピーの時の顔と完治後の写真

左がアトピーが悪化して退社した当時の写真。右側が現在の私。すっきり完治できている。アトピーのためにやっていることはない。

 

先生はこうも私にいうのだった。

「あなたのアトピーを治した体験をアトピー患者に伝えてほしい」

 

先生の言葉を受け継いで幾星霜......。

2017年はクリスマスの月。

私はバカラのシャンデリア煌くホテルラウンジでクライエントを待っていた。

テーブルは大きなクリスマスツリーの近くを選んだ。

アメリカから私のアトピー相談を受けるために来日したそのクライエントは、大きく泣き、大きく肩をゆすり笑った。

「渡辺さんに会えて本当によかった」と何度も私に告げるのだった。

アメリカからお越しになられた相談者

2018年になった。

年も私は多くのアトピー患者の相談に応じるのだろう。

私はみなさんが現状から抜け出される瞬間に立ち会うのが好きだ。

ボクはアトピーに青春を奪われた。

だけど、

ボクは人の心に希望と可能性の光を灯す仕事に出会うことができた。

笑顔

現在の私。すっかり元気になれた。アトピーのためにやっていることは、まったくありません。また、どこかであなたとお会いできたらいいですね。

さらにアトピー完治を手に入れる具体的な考えについて詳しく知りたい方は次のリンクのページをご覧ください。

アトピーの原因と完治のメカニズム

【まとめ】アトピー完治への道を開くための教訓

・治療を受ける目的を忘れてはいけない。アトピーを治すのが目的であって通院や薬を塗ること自体を目的にしてはいけない。

・治療を受けて治らなかったとしても、その治療を施した医師や薦めた人を非難してはいけない。

治すのは自分自身。自分の行動と、行動の結果に責任を負うべき。よって、批判はしても口汚くののしるなど感情的な批難はよくない

・アトピーが治らないことを他人のせいや、モノのせいにしてはいけない。

・アトピーでない人を恨んではいけない。嫉妬してはいけない。自分をみじめに思うだけだから。

・医師や治療方法がアトピーを治すのではない。医師や治療法に過度に依存的になってはいけない。私の場合、依存を通りこして惰性的に通院や投薬を受けていたことが20年もこじらせる結果となった。

やってもらって当然、治してもらって当然、週に1回の通院という決まりだから行く、といった主体性を欠いた意識では治るものも治らない。

・とはいえ我慢は良くない。辛い時は「助けて」と、いうべきだった。孤軍奮闘はいけない。