アトピーは寝込むほど、悪化する病です。
身体が火照って熱くなります。冬でも布団をかけて寝られないくらい熱くなります。
息をするのも大変で、胸が苦しくなります。
皮膚が固くなって歩くのが難しくなることさえあります。
アトピーの悪化によって、学業、仕事、家事が思い通りにいかなくなります。
こうしてアトピーはとても大変なのですが、しかし人によって「アトピー観」が違うのです。
たとえば、アトピーがしんどくて仕事を休むシーンを取り上げてみましょう。
アトピーで仕事を休もうとすると「薬を塗ってる?」「病院に行けば治るのでは?」と、会社の人から言われたりする。
私たちの方も「アトピーで仕事を休んでいいのかな?」と、思ってしまう。そして「もう少し頑張ってみよう」と無理をしてしまう。
会社も私たちも、どうして「すんなり休む」ことが出来ないのだろう。何が「すんなり休む」ことを止めているのだろう。
ひるがえって、「どうぞ休んでください」と言う会社もあるし、「アトピーで、しんどいから休みます」と職場の人に伝える人もいます。
「アトピーで、すんなり休めない」のがいけないと言っているのではありません。ここでお伝えしたいのは、「病気」をどう観るかは、人それぞれ違うということ、です。
「アトピー」をどう観るかは、患者さん、ご家族、社会……それぞれ違うのです。
そして「アトピーをどう観るか」とは、その方の人生によって違いがあるのです。
つまり「アトピー」について考えるとは、アトピー、人生、社会をぜんぶ平行にして観ないといけない……。
このことを私に教えてくださったのは、アトピーの方々でした。
私は20年のアトピーを完治させた人間なのですが、2005年からの17年間、アトピーで悩む方々への援助活動に従事しています。
左側がアトピーの頃の私です。右側が現在の様子です。
*左側がアトピーだった頃の私です。右側が現在の私です。
2005年8月から2015年3月までの期間において、
私は無料で電話相談および面談を実施していました。
1日に4、5回、朝から晩までひっきりなしにかかってくる電話に約10年も対応していました。
夕方4時になると、学校帰りの学生さんからの電話がかかってきます。
「親にアトピーが広がっていくのを、まだ言えてない」
「親に迷惑をかけている」
と、お子さんたちは決まって罪悪感を口にされました。
土日の休日になると朝の9時きっかりに私の携帯電話は鳴りました。
それは会社がお休みの方からの電話です。
私が「はい。もしもし」というや、
「あのですね。ずっとアトピーが……」と、名前もいわずにアトピーの遍歴を語り始められるのです。
アトピーという「痛み」について、まるでダムが決壊したかのように一気に語られて、気づけば2時間も耳を傾けていた……。
そして次の日も、また次の日も、私はみなさんの心の鬱積を受け止めていました。
実際にお会いして面談をすることもありました。
あるお母様がアトピーのお子さんをお連れになられた日のことです。
お母さんはとても早口でアトピーの日常を話されました。
おそらく非常に焦っておられたのだと思います。
すると私の目の前で、お母さんがお子さんの服をいきなり脱がして、アトピーの肌を私に見せようとされたのです。
お母さんに服を脱がされたお子さんがみせる「唇をかんで何かに耐えている」表情を見て、私までとても切なくなりました。
あと、治し方をめぐって議論を持ちかけてくる方もいました。
「おまえのいうこと聞いていたら、食べるもんなくなるんじゃ! ボケが!」
と、メールで罵倒されることもありました。
これはとても辛い記憶です。
また私が電話に出ていきなり
「早く治し方教えろや!」
と、男性からいきなりの罵声……。
嘘のような話ですが、そのような悩める人の行き場のない感情を受け止めることもありましたね。
それでも、私は電話から伝わる焦りまじりの息遣いにずっとひとりで対応してきました。
おかげさまで、多くのアトピーの方のお話を聴くことが出来ました。
これは私にとって貴重な体験です。
私のアトピー完治の体験にとどまらず、多くの方の体験に学ぶことが出来たからです。
学ぶことで、私は新しいアトピーの洞察、理解を得ました。
つまりそれは、アトピーを終わらせるためには「アトピーの本当の意味」を知らなければいけない、ということです。
アトピーの本当の意味を知らないから「何をしても治らない状態」が続いているのですから。
このことを知り得るまで、私は無駄な遠回りをしてきました。
ですから、あなたはアトピーにおいていばらの道を歩く必要はありませんよ。
さあ、アトピーの本質を知りましょう。アトピーの本当の問題のありかを知りましょう。
そのために、あるページを用意しています。
まずは、次のリンクのページ「アトピーの原因と完治のメカニズム」をぜひとも読んでください。
アトピーとの闘いを終わらすために。