久しぶりにブログを書いて投稿します。半年ぶりです。ある事情がありまして、ここの投稿はずいぶんご無沙汰をしておりました。
そして、いざ書こうとしましても、あれを書こうか、この内容がいいかなとか思案しつつ再び投稿が遅れてしまいました。
私はツイッター、Facebook、インスタグラムにも表現の場所を持っております(写真投稿がメインです)。
Facebookの機能で、「過去の思い出をふりかえってみましょう」と、過去記事を表示してお知らせするものがあるのです。
今日は、3年前の「忘年会」「カウンセリング」の過去の記事がお知らせとして通知されてきました。
忘年会なんて、今年は難しいですよね。3年前の忘年会の写真を見ても懐かしさとともに、「密だなー」って思ってしまいます。しかし、これが「ノーマル」だったのですよね。
もうひとつは「カウンセリング」の記事です。2017年12月17日に投稿しています。
投稿内容は、カウンセリングが終ってから、相談者様(クライエント様)より頂いたメールを取り上げたものです。
そのFacebookの記事を以下に転載します。その次に記事内容についてのコメントを付して、このブログを締めたいと思います。
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【アトピーだけでなく夫婦関係も改善】
クライエントからこんなメールを頂きました!
「カウンセリング後、気づいたら顔の一部の皮膚がぽろぽろと自然に皮向けしたのでびっくりしました!
痒みに併せて、手のむくみもじんじんするほど酷かったのですが、むくみも少しずつ減り、楽になってきました。
周りからも、なんか前よりよくなったね、と言われるようになり、鏡を見るのが嫌ではなくなりました。
アトピーが少しずつよくなっていることがとっても嬉しいです。」
この方の旦那さんは帰宅が遅くて晩御飯を家で食べてくれなかった。それをクライエントは嫌がった。
そこで私はあることをするように伝え、それを実践してくれたところ……、
「あれから、……にしていますが、そうすると会話が増え、
『お腹は空いているけど太りそうだから食べたくない。太らなそうなものだったら食べたい。』ということがわかったので、軽めのものを用意しようと思います(^^)
気づくことができました。ありがとうございます。
ラインのセッションが終わった後は、もう今までの自分とは違う気分でした!
実はかなりカウンセリング緊張していましたが、ワタナベさんとお話しできたこと楽しかったです(*^^*)
長くなってしまいましたが、本当に、ありがとうございました。」
旦那さんが変わったのではなくて、クライエントが変わったから夫婦の会話が増えたのです。
素敵なご報告ありがとうございます!
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クライエント様から頂いたメール報告で、私が赤文字にした部分を注目したいと思います。
人間というのは人によって「価値観、テイスト、好み、味覚などの五感、価値基準、判断の基準」が違います。
「置かれている状況、成育歴、生まれてきてから今までの間で浴びてきた言葉、信仰、心身の状態、何を望み何を手に入れたいか、どうなれば満足できるか」について、人によってまったく違います。
「参照先、感じ方、考え方、行動のパターン……」が、人によってさまざまであり、まったく同じ人はいません。
たとえ家族であっても、自分と同じように感じたり、考えたり、行動したりする人はいません。何について悩むか、その悩み方も人によって違います。ですから相手の話に耳を傾ける必要があります。
相手と同じ景色を見ていたとしても「景色を見てどう感じているか?」について、相手に聴いてみないとわかりません。もちろん聴いてみてもわからない。だって、同じ景色を見ていても相手は「美しい」と私に伝えてくれても、相手と私の「美しい」は違うからです。
あなたの「愛」と、私の「愛」は同じものでしょうか。もちろん違うはずです。
たとえば、怒りと聞いて何色を連想しますか?
人によれば「青色」だったり、「赤色」や「黄色」の人もいるでしょう。
ここで、「怒り」といった、なじみのある感情でさえも、それを色でたとえることで、人それぞれ、千差万別だということがわかるでしょう。
もっといえば、「青色」といっても、青色はひとつではなく、必ずグラデーションがあります。試しに色見本表を検索してご覧ください、さまざまな系統の青色があることがわかるでしょう。
さらに言えば「赤色」が憤怒タイプであり、「青色」が激高タイプであり、「黄色」があっさりした怒りだと、色が持つイメージからその方の怒りのタイプを識別するのは無理があります。なぜならば、そもそも色から連想される「イメージ」「意味」は人それぞれであり、確定していないからです。
人によれば「私の怒りは桃色だ」という人もいるかも知れません。だけど「怒りをイメージして、それが桃色って? おかしいよね」なんて言えません。どうしてか? 色に意味なんてないからです。
色に意味があるように思えますが、それは思わされているに過ぎない。
私が小学生の頃、男の子のランドセルは黒と決まっていました。女の子は赤色でした。しかし今ではどうでしょうか? さまざまなカラーバリエーションのランドセルが販売されていますよね。男の子は黒、女の子は赤って決まっていません。
ランドセルの色に関していえば、ここ数年で、色に付帯されていた性差が解体されたようですね。
もっといえば、色なんて存在しない、かも知れませんよ。
もし、この世界に赤色しかなければ、赤色は消えます。ことさら赤色と言う必要がなくなるからだし、もっといえば「色」そのものが消えます。
けれども赤色ってあるじゃない、と思われたことでしょう。だけど「赤色ってなに?」と問われたら、「青でない、白色でもない色」と答えるしかありません。すべての色を並べて、「ここにない色が赤色です」と言わないといけません。
「赤色」が存在できるのは他の色との差異においてであり、確固とした存在ではないのです。
そもそも、自然界に色はありません。言葉の世界に色があるだけです。
「これを赤色と呼ぼう」と名付けたとたん「赤色」が出現したわけです。赤色というものが先にあったわけではないのです。
「これは青色と呼ぼう」としたとたん「青色」が出現したわけであって、自然界に青色があったわけではないのです(青色を赤色と名付けてもいいわけです)。
ですから、まだ名付けられていない「色」が自然界にあるかも知れません。つまり、色は言葉の世界にある。世界は言葉の影なのです。
虹は5色ですよね。しかし虹は3色だという国、民族もあります。つまり、なにも確固としたものはない。世界はあいまいだ。
目の前の人物はまったく「わたし」と違う人物です。たとえ、目の前にいる人が家族であっても、伴侶であっても、子どもであっても、同僚、部下、上司、友人、知人であっても……。そして、昨日と同じ考えを相手が持っているなんて、どこにもその保証はなくて、相手と分かり合えるなんて奇跡だ。
相手のことを知るには、相手の言葉に耳を傾けないといけない。けれど、そうはいっても、一生懸命、聴いても聴いても理解できるものではないでしょう。相手の目と頭を通じてしか「相手が見て、感じて、考えていること」なんか、わかりっこないから。
ということは「わたし」も言葉を尽くさないと相手に理解はされない。たとえ分かってもらえたと感じても、わたしが分かってもらえたと思う事と、相手のそれとは同じとは限らないけどね。
そして、「わたし」自身、とてもあいまいな存在だとわかった時、「わたし」自身、なにも確固とした存在ではないことがわかった時、そして、相手もそうであることが分かった時、「わたし」の頭の中にある言葉の辞書はすべて書き換わるでしょう。
アトピーといっても人によって感じ方は違います。悩み方も違います。なので皮膚科の医師はアトピー症状を一般化し、ただただ「対象化されたアトピー」を抱える者として患者さんをとらえるのではなくて、患者さんの話にきちんと傾聴して頂きたいものです。主体はアトピーではないから。アトピーが主体で患者本人は客体ではないから、あくまでも主体は患者本人だから。ただただ漫然とステロイド剤を渡すだけはやめて欲しい。
コロナ禍において人と人の関係性が薄くなっています。人と人が分かり合う会話の機会も少なくなりました。
新型コロナウイルス19年型は、人と人との関係性を壊す力があります。人々が大切にしていた記憶までも奪ってしまう力があります。
今まで人々がルーチンとしてもっていた人と出会って心をほぐす機会も少なくなってしまいました。
だからこそ、リモートなど、コミュニケーションの機会を工夫するとともに、今まで普通にあった人との会話を大切にしたいと思うのです。
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