「アトピー」を知っていますか?
アトピーを知っていますか?
こう尋ねると、いっぱい返事がかえってきそうです。
なにせ現代では「スマホ」がありますからね。アトピーやその周辺の情報や知識を手軽に収集することができますからね。
いっぽう私がアトピーに呻吟していた頃、スマホどころかインターネットすらありませんでした。
ありましたよ。インターネット。ありましたけどダイヤルアップ方式なので速度が遅かったし、SNSもブログもなかったのです。
ネットのアトピー情報は今と比べて100万分の一くらいしかなかったのではないでしょうか。
でも、いま思えばその方が良かったと思います。
いっぱいものを知っている方が幸せかといえば、そうでもありません。
知っていることに自分が縛られるのです。
言い方を変えれば知識や情報という「固定点」に縛られて自由な発想が生み出せなくなる。ゆえに視点が低くなる。
されど人間というのは不安になると、どこかに落ち着きたくなります。
落ち着きたいので「固定点」を求めるのです。
「固定点」を見つけることで安心を得ます。
安心を得るのは良いことではあります。しかし何かを得たら何かを失うのはこの世の常です。
「固定点」を見つけてそれにしがみつくことで安心を得たけど、そこに自己を同一化してしまうので今度はそこから離れるのが難しくなる。畢竟、自分自身を変えることができなくなる。
「固定点」に自己を同一化することは視点が低くなります。他のことが目に入らなくなる。
「固定点」とは「答え」と言い換えてもいいでしょう。
長びくアトピー症状は辛いものです。そして治る兆しが見えない。当然、不安になります。
ですから、「答え」を求めます。いまならスマホで検索して「答え」を探します。
知識や情報というのは「答え」ですよね。
もちろん知りたいことがすぐに知れるのは良いことです。
ですが、その「答え」に自分を同一化してしまうことによる懸念があります。
それが「アトピーというのは、こういうものだ」という思い込みです。
その思い込みにそったアトピー対策を、なんの疑いもなく続けてしまう。
結構、ワセリンを手放すことができない人も多いのではないでしょうか?
アトピーをこじらせている人ほど、ずっと長く続けているコト・モノがあるものです。
そして、それを止めることができないでいる。
「答え」を求めるのではなくて「問い」を持ってほしいものです。
「問い」の設定が間違えていると「答え」も間違えます。
ですから「問い」の設定も注意しないといけないのですが、
ここでは「アトピーとはどういう意味なのか?」という問いを持つことをお薦めします。
「どうすればアトピーを治せるのか?」という問いを持つならば、さらに深めて「じゃあ、そのアトピーって何?」と新たな問いを持ってください。
アトピーの意味を間違えると、治し方も間違えます。
「問い」と「答え」は表裏一体です。
ゆえに「答え」ばかり求めてはいけないのです。
アトピーを長く続けているならば「問い」を適切なものに設定してください。
お薦めなのが「アトピーの意味と何か?」という問いです。
アトピーの本当の意味を知らないで対策をしていては、堂々巡りしてしまいますよ。
「アトピーを理解してほしい」という訴えを社会になされている方や、活動があります。
もちろん、社会がアトピーについて理解を深めることは必要なことですし、そのための訴え、活動に私は敬意を表します。
それと合わせて私はアトピーの当事者の方に「アトピーを理解してほしい」と切に思うのです。
アトピー対策はどれも同じです
いままで、アトピーについて多くのことが語られてきました。
「ステロイド反対団体」もあれば、「ステロイド推奨者」もいます。
「脱保湿を主張する医師」もいれば、「保湿を薦める皮膚科」もあります。
「自然食」をすすめる人、サプリメントをすすめる人もいます。
「何を信じればいいものやら」と、もううんざりですよね。
でも、アトピー対策について迷う必要はありません。
なぜならば、あらゆるアトピー対策はどれも一緒だからです。
ステロイドに「反対」であれ「推奨」であれ同じです。
「漢方」であれ「西洋医学」であれ同じです。
「脱保湿」であれ「保湿徹底」であれ一緒です。
「玄米食」であれ「糖質制限」も同じ。
アトピーをめぐって百家争鳴、議論百出、諸説紛々あれども「たったひとつの認識」に帰結します。
たったひとつ……それはアトピーは皮膚に病気であるといった認識です。
この続きはまたいつか書きましょう。今日はこのあたりで。
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