私がアトピーだった頃、考えていたこと

アトピー完治の心構え

私がアトピーだった頃、「考えていたこと」そして「考えも及ぼなかったこと」について書きます。

アトピーで悩まれる方にとって大切なことをお伝えするつもりです。お役に立てれば幸甚です。

アトピーを治すことをあきらめていました

かつて、ある相談者からこのような質問がありました。

「病院や医師を恨んだことはありますか?」

きっぱりと言いますが私は医師や病院を恨んだことはありません。治療方法すら「これは自分のアトピーを悪化させた悪者だ」と見立てたことはありません。

このことを伝えると、その相談者さんは驚かれていました。その方は、いつまでも、ある医師を恨んでおられたからです。

ちなみに私は「自分は良い人間だ」と言いたいわけではありません。

私も人間ですから誰かを責めたり、恨んだりしたこと、たくさんあります。

しかしながら、アトピーに関しては一切「誰かを恨んだ」ことがないのです。

ある漢方医から「あんたのアトピーは慢性病だ」といってのけられたこともあります。

「半年も通院して、その言葉はないわ」とは思いましたよ。けれど、それで終わり。それ以上は何も思いませんでした。

どうしてなんでしょうか。おそらくアトピーに関して私は「隙」と「躓き」が同居しているようです。人間としての「隙」があるのです。ゆえに多くの「躓き」を経験しました。けれど人間としての「隙」があったことで皮膚科や漢方という医療で治すことにこだわったことがなかった。これが私に幅をもたらしてくれたのです。

何がなんでも医療で治すべきだという考えがなかった。もちろん「躓き」はありました。が、間口を広げていたからこそ、ある導きへの道が開いていたように思えます。

言っておきますが、私は医療を否定していません。ステロイドに関して否定はしていません。ニッチモサッチモいかない時、ステロイドと内服薬に頼ることは悪いことではなく、むしろお薦めします。が、薬は副作用があるので常時使用に気をつけるべきです。

さらに言えば、私は幸せだったのかも知れません。つまりスマホが当時なかったから。

スマホはおろか常時接続のADSLすらありませんでした。ネットで情報を集める習慣がなかった。ですので、間口を広げていても入ってくる情報が限られていました。なので混乱することがなかったのです。「どうすれば治るんだ」「何が正しいんだ」と。

そして、笑われるかも知れませんが、私はアトピーを治す気がありませんでした。あきらめていたのです。ただ漫然と漢方薬を飲んだり、薬を塗っていたのです。

あきらめていたことは、治すことに執着しなかったとも言えます。アトピー治しにのめりこんだりしなかったのです。

現代は情報過多ですよね。よって迷いも多く、結果、平準的な最適な解しか選べない状況です。これはこれで近道にたどりつけるメリットがあるでしょう。ですが、ずっとスマホでアトピー情報を探してしまうという「治すことへの頑張りが過度になりやすい」のではないでしょうか? かねがね指摘していますが「アトピーは頑張れば頑張るほど治らない」のです。

そして、私がアトピーだったころアトピーの標準治療なんてありませんでした。いや、あったのでしょうかね? あったとしてもアナログの時代ですから誰かに教えられないと知ることすらできません。今では知りたくない情報も知ってしまう時代ですものね。

標準治療がどーんとあって、それ以外は異端であると言いつけられたら、当時の私ですら、どうなっていたでしょうかね。ちなみに私はステロイドで治したわけではありませんでした。もっと言えばステロイド肯定派・否定派の論争に巻き込まれることがなかった。

だけども、だからと言って私は幸せだったとは言えません。なぜならば今では発売禁止になっている「非ステロイド抗炎症剤」の軟膏と、漢方薬を惰性的に10年近くやっていたのですから。ステロイドを避けていましたが、色素沈着で体が黒くなったり乾燥が激しくなるなど、別の苦しみを経験してしまったから。

なんだかとりとめない文章になったかも知れませんが、とにかく医師や医療を責めたことはなかった。

そして、以下のことを露にも思わなかったのです。

「私は何も悪いことをしていないのに、どうしてアトピーなのか」

ツイッターで、上記のように書かれている方を見かけたのです。

当時の私にとって「何も悪いことをしていないのに、どうして私はアトピーなのか」という考えをもっていませんでした。

あるいは「どうして私はアトピーなのか。アトピーでない人もアトピーになって同じ苦しさを味わえばいいのだ」と考える方がいるようです。これはあるブログで拝見しました。これも、私には考えつかないことでした。

「私は何も悪いことをしていないのに、どうしてアトピーなのか」……と、考えない代わりに私はアトピーを「自分のこととして引き受けていた」のです。

そして、もうひとつ。

自分のやりたいことができないことを、アトピーのせいにしたことはありませんでした。

マスクをしたりして、アトピーを隠すこともしませんでした。「アトピーが憎い」「悪いことしてないのに、なんで私はアトピーなのか」とは、思いませんでした。

「アトピーさえなければ」と思わず、「悪いことしてないのに、なんでアトピーなんだ」とも思わず……つまり、どういうことかと言うと、私はアトピーにのめりこんでいなかった、のです。

もちろんアトピーは辛かったですよ。しかし、スマホがなかった。常時、検索してアトピーに没入することがなかったのです。

非常にわかりにくいことを書いていることを実感しています。けれど、ネットがない時代であり、生身の人間との関わりしかなかったことが私にとって幸いだったように思えます。

ですので、たまにはスマホを手放して、生身の人間との交わりも忘れないで欲しいです。コロナの時代で交流が難しいですが、アトピー以外のことにも目を向けて頂きたいと思うのです。

追伸 そして私がアトピーだった頃、考えも及ばなかったこと思い出しました。それは「コスパ」です。

当時、「コスパ」という言葉がなかったからとも言えますが、たとえば「これだけお金を使ったのにアトピーが治らなかった」と私は憤ったりはしませんでした。

「アトピーの息子のために300万円も使った。アトピーでなければ私の家には、もっと貯金があったのに」と、あるお父様が私にこぼしたのを今でも覚えています。

私はお金を使ったことには後悔してませんが、アトピーでなければ、すっきりした青春時代をおくれたかもと振り返ることはあります。

特定非営利活動法人日本成人病予防協会会員 渡辺勲

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